茶道(村田珠光・武野紹鴎・千利休)の歴史
草案の茶 村田珠光(1422~1502)は、京都の大徳寺塔頭の真珠庵で、一休禅師より禅の修行をし、「茶禅一味」(茶と禅の精神を統一)という境地に到達しました。書院作りの環境に相応しく、茶をたてて心の静けさを求め、茶を行う者の精神性を強調しました。珠光は、草庵を結び、そこで茶の湯を行ったので、草庵の茶と言われ、「茶道の創始者」とも言われます。
侘び 武野紹鴎は、堺の商人でしたが大徳寺で禅の修行をしました。その後、茶の湯に関わり、唐物のかわりに信楽、瀬戸、備前などの日用品を茶器として取り入れたり、三畳・二畳半の茶室を創作しました。紹鴎は、珠光の草庵の茶を一層深化、簡略化させ、精神性をより高めたことから、禅的な「侘び」の理念を打ち立てた人物で、「茶道の洗練者」と言います。
侘び茶 千利休(1522~1591)は、堺の商人で、小さい時から、茶の湯を好み、大徳寺で禅の修行をしたり、武野紹鴎から侘びの精神を学びました。千利休は、茶器に対する意識を改革し、日常性の中から茶道具を見つけ出しました。飯器の高麗茶碗、井戸に使う釣瓶水指、菜籠の炭斗、竹藪から切ってきた竹の花入れ、黒楽茶碗などです。さらに、茶室対しても意識改革をしました。二畳間の妙喜庵「待庵」は、無の境地を表しています。
千利休は、「世の中に茶のむ人は多けれど、茶の道を知らぬ人は、茶にぞのまるる」、「茶の湯とは、ただ湯を沸かし、茶を点てて、飲むばかりなることと知るべし」と言っています。どちらも、禅の心得(無の心)があって初めて、精神が解放され、茶の湯を楽しむことができるという意味です。
尾道市重要文化財、橋本邸に、「待庵」写しの茶室があります。無の境地を悟りにおでかけになりませんか。