第一回 尾道ヨミガタリの会 発足
2008年6月10日(水) 午後7時から9時まで 尾道まちかど文学館
【参加者】8名 【課題】『風琴と魚の町』
第一回 尾道ヨミガタリの会 始まりました。
(おのみち街角文学館では、郷土の作家の本を常設しています。)
(芙美子さんの遺品の着物の前で)
声かけに応じて、初回は8名の参加者がいらっしゃいました。
地元の人が、他の用事と重なり、なかなか出席できない。日中ならともかく、夜は出にくいと、反応はあるものの、なかなか人が集まりません。
それでも、自己紹介をして、『風琴と魚の町』を10小節中5小説を、変わりバンコに読みました。
「自分は、この街で生まれ、育ったのに、恥ずかしながら一度も本を読んだことがない。今回、みなさんと一緒に読んで、とても気持ちがよかった。」50代女性(旧尾道市内)
「自分は、中学生の時に、新聞配達をしていた。林 芙美子さんの『めし』が、連載されていて、これを中継所で読むのが、毎日の楽しみだった。ところが、突然に連載が終わってしまった。今日は、このうような会を立ち上げてくださって本当にありがとうございます」70代男性(尾道市向島町)
「自分は、林 芙美子さんの本を始めて読んだときが、『浮雲』だった。天才だと思った。今日は、林 芙美子さんのことを何でもいいから知りたいと思った」70代男性(尾道市久山田町)
などなど、夜なのに遠方からやってきてくださった熱心な方々と、有意義な時間を過ごすことができました。
『風琴と魚の町』の一小節に、一家が福山方面から来たのか、広島方面から来たのか、論争になっている箇所があります。
最初の「えんえんとした汀を汽車は這っている」というところです。最初、私は、福山方面から尾道大橋をくぐったあたりの鶴湾と呼ばれる美しい海岸線だと思いました。
とすると70代の年配の方が、糸崎から尾道に続く海岸線のことだといわれます。海岸線の横を国道二号線が走っています。電車の中からは、芙美子の恋人、岡野軍一さんが住んでいた因島にかかる橋が見えます。この線路沿いに大きな石が見えます。ここは、明治時代に台風で船が遭難したときの慰霊碑だということです。だから、この線路まで海が迫っていたのだから、広島方面から来たという説です。
こんな会話で、自分たちの故郷の再発見をしながら「尾道ヨミガタリの会」は続きます。
この活動は、文化庁の市民からの文化力に登録されています。