20014年6月 水無月
京都の歳時記
(沙羅双樹の花)
六月・水無月は、入梅になり雨が多くなります。この時期に夏まつりが多くなるのは、長雨や湿気で病気の心配から無事を祈ったものと考えられます。
梅雨の時期は、暑い日があったり寒い日があったりして定まらず、この時期に客を招くのは亭主方も気をつかうものです。天気予報を聞きながらの心くばりとなります。
「物音の絶て雨ふるさつきかな」 雪高
「茶掛」は、「雨過青苔湿・あめすぎてせいたいうるおう」という言葉があります。
俳聖といわれる芭蕉は、常陸鹿島の根本寺の佛頂和尚に師事して開眼したといわれています。
ある日、佛頂和尚が門人の六祖五兵衛と連れ立ち、深川の芭蕉の庵を訪ねます。五兵衛は、庭が荒れ果てているのを見て、到着するなり「閑庭草木裏の佛法」と真っ向から問いかけます。
芭蕉は、すかさず「葉々。大底は大、小底は小」と答えます。 大きな葉々は大きく垂れ下がり、小さな葉々は小さく重なり合っている。あるがままの自然の美こそが美学なのです。」と、あざやかにこたえられました。
するとそばにいた佛頂和尚も問います。「今日の事 そもさん」。「今日ただ今のことは一体どうなのか」と、何かよいことでもあったのかと問われました。
すると芭蕉は、「雨過ぎて青苔湿おう」雨のあとのぬれた苔をご覧ください。色は、真っ青で、心身共に染めてしまうほどの、この現実こそが全てで、美しく、けだかく、生々しく展開されています。
芭蕉の深くこの世界を眺めていく精神を学びたいものです。
二十四節気(七十二候)
【小満 5/21日】万物盈満(えいまん)すれば草木枝葉茂る(暦便覧) 陽気がよくなり、草木などの生物が次第に生長して生い茂るという意味。西日本では走り梅雨が現れる頃。
【初候 5/21日】蚕起きて桑を食う(かいこおきて、くわをくう)
【次候 5/26日】紅花栄う(べにばな、さかう)
【末候 5/31日】麦秋至る(ばくしゅう、いたる)
【芒種 6/6日】芒(のぎ)ある穀類、稼種する時也(暦便覧) 稲の穂先のように芒(とげのようなもの)のある穀物の種まきをする頃という意味であるが、現在の種まきは大分早まっている。西日本では梅雨に入る頃。
【初候 6/6日】蟷螂生ず。(かまきりしょうず)
【次候 6/11日】腐草蛍となる。(ふそうほたるとなる)
【末候 6/16日】梅の実黄ばむ(うめのみ、きばむ)
【夏至 6/21日】陽熱至極しまた、日の長きのいたりなるを以て也(暦便覧) 一年中で一番昼が長い時期であるが、日本の大部分は梅雨の時期であり、あまり実感されない。花しょうぶや紫陽花などの雨の似合う花が咲く季節である
【初候 6/21日】乃東枯る(だいとう、かる)
【次候 6/27日】菖蒲花咲く(しょうぶはなさく)
【末候 7/2日】半夏生ず(はんげ、しょうず)
七十二候は中国で生まれたものですが、日本に伝わってから気候の違いや日本に生息しない動植物などの名前を入れ替えるなど、時代や編者により多くの版があり、どれが正しいとは言えないのが現状です。
上記は明治時代の伊勢神宮略本暦に記載されたものです。
銘は、「芦」「夏衣」「雨雲」「河菜草」「虹」「雨漏」「腰蓑」「花橘」「五月雨」「真菰」などがあります。
季語は、「芒種」、「夏至」、「梅雨」、「五月雨」、「五月晴れ」、「涼し」、「夏の朝」、「夏の夕」、「青田」、「雷」、「夏野」、「滝」、「短夜・みじかよ」、「夏の海」、「安吾・あんご」、「川床」、「雨蛙」、「冷酒」、「ギヤマン」「夏座敷」などです。「夏木立」とは、青葉若葉がさかんな木立のさまのことです。
「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」 松尾芭蕉『嚝野・あらの』
「さみだれや淀の小橋は水行燈」 井原西鶴 (自画賛)